一時的な怒りのことをいいます。
【一朝】は、いったん。ひとたび。にわかに。たちまち、などの意味です。
『論語』顔淵にでています。
樊遲(ハンチ)従いて舞雩(ブウ)の下に遊ぶ。
樊遅が孔子のお供をして雨乞い台の下を散歩していた際に、
曰く、敢て徳を崇(たか)くし、慝(トク)を脩(おさ)め惑(まどい)を辨(ベン)ぜんことを問う。
己の徳を崇くし、心の奥にかくれた悪を除き、心の惑いを明らかにする方法を、
お教え下さい、と質問しました。
子曰、善いかな問うこと。
善い質問だ。
事を先にして得(う)るを後にするは、
やることを先に行って、報酬は後回しにすれば、
徳を崇(たか)くするに非(あら)ずや。
徳が磨かれるのではないかな。
其の悪を攻めて人の悪を攻むること無きは、
自分の悪いところは攻めるが、他人の悪を咎め立てしないのが
慝を脩むるに非ずや。
心中に隠れた悪を除く方法ではなかろうか
一朝(イッチョウ)の忿(いかり)に其の身を忘れて
一時の腹立ちまぎれに、我が身を忘れて、(己の一生を台無しにするのは)
以て其の親に及ぼすは、惑に非ずや。
(自分のみならず)親族に迄迷惑を及ぼしてしまうことになる。
(一時の感情に振り回されて自分を見失ってしまうこと)
これが惑いと云うものではないかな、と答えた。
徳が高くならない訳が解りました、【一朝之忿】が多すぎたんですね。