自分のことをよく知ってくれている友人のことを表す四字熟語です。
【知己:チキ】は、自分のことをよく知ってくれている人。親友の意。「己」はおのれ。
【朋友:ホウユウ】は、友達、友人のこと。
『史記』刺客(シカク)列伝の中の「予譲:ヨジョウ」についてのところにでています。
予譲は、中国の春秋時代に実在したとされ、『戦国策』、『史記』や『十八史略』などにおいて志が高く評価された人物です。
予譲はまず范(ハン)氏、中行(チュウコウ)氏に仕えましたが、能力にふさわしい扱いを
されなかったのでそれぞれのもとを去りました。
だが、次に仕えた智伯(チハク)からは国士としてたいそう厚遇されました。
その後智伯は、趙襄子(チョウジョウシ)との戦いに敗れて殺され、その頭蓋が酒杯に
されるという辱かしめを受けたのでした。
予譲は山中に逃れ、
「ああ、士は己を知る者のために死し、女は己を愛する者のために化粧する。
主君の怨みは必ず晴らすぞ」
と言って復讐を誓い、襄子をつけねらいました。
だが、苦心の甲斐もなく捕えられて、襄子のまえに引きずり出されてしまいました。
襄子が尋ねました。
「お前は先に范氏にも中行氏にも仕えたではないか。知伯がその范氏・中行氏を滅ばしたのに、
お前はそのために仇を討とうとしないで、かえって仇の知伯に礼物まで差し出して臣となった。
そして知伯が殺されると、お前はどうして知伯のためにばかり、
仇を討とうと深く思いこむのか」といいました。
すると予譲は、
「かの范氏・中行氏は拙者を普通の人間として扱った。だから拙者も普通の人間として報いた。
ところが知伯殿は国士として拙者を待遇して下された。
それ故に拙者も国士としてこれに報いるのだ」といいました。
予譲は趙襄子の衣服をもらい受け、それを仇敵と見なして切り裂き、
「これで、地下において智伯に報告できます」
といって剣に伏して自決してしまいました。
予譲が死んだ日、趙の国の心ある人達はこれを伝え聞いて、
みな予譲のために涙を流して泣いたそうです。
こうした予譲の生き方は忠臣のあるべき行為として讃えられたのでした。