【年年歳歳】は、来る年も、来る年も、という意味ですが、
劉季夷(リュウ・キイ)の『白頭を悲しむ翁に代わりて』の詩の【年年歳歳、花相似たり、歳歳年年、人同じからず】から、とられた四字熟語で、不変の自然に対して、はかなく移ろいやすい人生を対比して、嘆いていることを表しています。
7言26句の詩です. 【年年歳歳】は、11句目に出てきますが、少し前から書き出しました。
5)今年花落顏色改 今年(こんねん)花落ちて顔色改まり
今年も花が散り、人々の容色も変化し衰えていき、
6)明年花開復誰在。 明年花開いてまた誰かある
来年になって花は咲くが、今年の花を見たうちの
誰が生き残っているだろう。
7)已見松柏摧爲薪, 巳(すで)に見る松柏くだけて薪となるを
いままでに松が切られ割られて薪となったのを見たし、
8)更聞桑田變成海。 更(さら)に聞く桑田変じて海となるを
また桑畑が海に変わってしまった事を耳にしている。
9)古人無復洛城東, 古人また洛城の東に無し
昔の人々はもはや洛陽の東の地にはおらず、
10)今人還對落花風。 今人還(かえ)って対す落花の風
現代に生きる人々も、またこの花を散らせる風に吹かれている。
11)年年歳歳花相似, 年年歳歳花あい似たり
思えば来る年毎に花は同じような姿で花は咲く。
12)歳歳年年人不同。 歳歳年年人同じからず
しかし毎年毎年その花を見る人々は同じ顔ぶれではない。
8句目の【更(さら)に聞く桑田変じて海となるを】は、【桑田滄海:今日の四字熟語 No.439】の四字熟語になっています。
劉季夷は、容姿はすぐれており、物事にこだわらない性格でした。酒と音楽を好み、琵琶の名手でありました。675年(上元2年)進士となりましたが、仕官せずに各地を遊覧しました。
舅で詩人の宋之門にこの詩を見せたところ、宋之門は【年年歳歳】のところを甚(いた)く気に入り、是非この句を譲ってくれ、といいました。
劉季夷は、一度は承知したのですが、惜しくなって結局与えませんでした。
怒った宋之門は、下僕に命じて劉季夷を殺してしまった、という説があります。
6月10日は「時の記念日」です。
日本初の時計が、時刻を打った日が、天智天皇10年4月25日で、
これを西暦に直しますと671年6月10になることから、
東京天文台と生活改善同盟会が1920年(大正9年)に、
「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」として、
6月10日が『時の記念日』として制定されました。