自分の才能や徳を隠して、世間に目立たないように暮らすことを表す四字熟語です。
【和光】は、才智の輝きをやわらげることを言います。
「塵」は、ちりですがここでは俗世間のことを言います。ですから
【同塵】は、俗世間に合わせる、すなはち才智を隠して、俗世間にまじり合うことを言います。
【和光同塵】は『老子』第四章、と第五十六章にでています。
『今日の四字熟語 No,365 知者不言』で第五十六章を紹介していますので、
ここでは第四章の全文を記載します。
原文・読み下し文・口語訳の構成になっています。口語訳につきましては、「講談社学術文庫:金谷 治」を
引用させて頂きました。
道沖、而用之或不盈。
道は沖(むな)しきも、これを用(もち)うれば或(ま)た盈(み)たず。
「道」は空っぽで何の役にも立たないように見えるが、
その働きは無尽であって、そのからっぽが何かで満たされることは決してない。
満たされていると、それを使い果たせば終わりであって有限だが、
空っぽであるからこそ、無限の働きが出てくるのだ。
淵兮似萬物之宗。
淵(えん)として万物の宗(そう)に似たり。
それは底知らずの淵のように深々としていて、どうやら万物の根源であるらしい。
挫其鋭、解其紛、
その鋭(えい)を挫(くじ)いて、その紛(ふん)を解(と)き、
それは、すべての鋭さをくじいて鈍(にぶ)くし、すべてのもつれを解きほぐし、
【和其光、同其塵】。
その光を和(やわら)げて、その塵(ちり)に同(おな)じくす。
すべての輝きをおさえやわらげ、すべての塵と一つになる。
湛兮似或存。
湛(たん)として存(そん)する或(あ)るに似たり。
それは、たたえた水のように奥深くて、どうやら何かかが存在しているらしい。
吾不知誰之子、
われ誰の子なるかを知らず、
わたしは、それがなにものの子であるかを知らないが、
象帝之先。
帝(てい)の先(せん)に象(に)たり。
万物を生み出した天帝のさらに祖先であるようだ。
【和光同塵】なる人は、まわりに居るんでしょうが、その存在を匂わせないので、知ることは出来ません。