漢詩や和歌を吟じ、楽器を奏でること。また、広く文学と音楽のことをいいます。
【詩歌】は漢詩と和歌をいいます。【詩歌】は「シカ」ですが慣用として「シイカ」と
読まれます。
また、和歌・俳句・詩などの韻文の総称としての【詩歌】でもあります。
【管弦】は、管楽器と弦楽器のことですが、楽器の総称で言われることもあります。
「弦」は「絃」とも書きます。
『太平記』巻二。「俊基朝臣が再び関東に下ったこと」の条に【詩歌管弦】がでています。
大井川を過給(すぎたま)へば、都にありし名を聞て、
大井川を渡る時には、都にあった大堰川(おおいがわ)と同じ名前であるのを
聞いて、
亀山殿の行幸(ギョウコウ)の、嵐の山の花盛り、
(嵯峨野の)亀山殿に天皇が行幸された時、嵐山は花盛りで、
竜頭鷁首(リュウトウゲキシュ)の舟に乗り、詩歌管絃の宴に侍(はべり)し事も、
竜頭鷁首(竜や鷁の頭の彫り物を船首・船側につけた舟)の舟に乗り、
詩歌管弦の宴を催したことも、
今は二度見ぬ夜の夢と成ぬと思つゞけ給ふ。
今となっては二度と見ることのない夢になったと、思い続けられたのでした。
文暦2年 (1235年)の5月27日、藤原定家の撰による『小倉百人一首』がまとまったことにちなんで、『百人一首の日 』と言うようです。
百首の歌のうち、恋の歌が43首、次いで秋の歌が17首、合わせて60首を占めます。
編集者藤原定家の好みがよく現れています。但し、この時、定家は74歳。
百人一首は、鎌倉時代に編集されましたが、人々にまったく知られなかったそうです。
14世紀の後半(室町時代の中期)に、連歌師宗祗(そうぎ)によって研究・紹介されて、歌よみの人々にようやく読まれるようになったそうです。