『広辞苑』によりますと、
日本固有の精神と中国の学問。また、この両者を融合すること。
日本固有の精神を以て中国から伝来した学問を活用することの重要性を強調して言う。
と記載がありまして、[菅家遺誡:カンケイカイ]が出典であることが示されています。
[菅家遺誡]は『広辞苑』によりますと、
教訓書。二巻。作者不明。平安末期または鎌倉時代に成立か。菅原道真に仮託して、
公家の留意すべき事柄三十三条をあげ、巻一の終りに和魂漢才説を述べる。
と記載があります。
さらに菅原道真を『広辞苑』で調べてみます。
平安前期の貴族・学者。是善(これよし)の子。宇多天皇に仕えて信任を受け、文章博士・
蔵人頭・参議などを歴任、894年(寛平6)遣唐使に任ぜられたが、その廃止を建議。
醍醐天皇の時、右大臣となったが、901年(延喜1)藤原時平の讒言により大宰権帥(だざいの
ごんのそち)に左遷され、同地で没。
書をよくし、三聖の一人。「類聚国史」を編し、「三代実録」の撰に参与。
詩文は「菅家文草」「菅家後集」に所収。
死後、種々の怪異が現れたため御霊(ごりょう)として北野天満宮に祭られ、のち学問の神様
として尊崇される。菅公(かんこう)。菅丞相(かんじょうしょう)。菅家(かんけ)。(845~903)。
さらに、文章博士・蔵人頭・参議・・・・等々、『広辞苑』で調べることができます。
これを続けていますと、『広辞苑』から抜け出ることができません。退屈しません。
昭和30年(1955年)5月25日 『広辞苑』の初版が発行された日だそうです。
『広辞苑』は岩波書店発行、新村出編で、百科事典も兼ねた国語辞典です。
平成20年(2008年):収録語数24万の第六版が発行されました。