【永永として窮まり無し】と訓読みされます。
永久に続くことのたとえを表しています。
前漢の第五代文帝(B.C.180~B.C.157)は、高祖劉邦の中子で代王に封建されていました。
政治を専断していた呂氏が誅殺されたあと,陳平(チンペイ),周勃(シュウボツ)らに迎えられて即位しました。
道家にもとづく無為と寛宥(カンユウ)の施政につとめ,愼夫人とともに節倹を示し,漢朝の備蓄につとめました。
『史記』孝文本紀は、文帝の事績を記載したものです。
四字熟語【永永無窮】は、孝文本紀の最後の方で、文帝の長子:第六代景帝が父の功績を讃えているところで、でてきます。
第七代が前漢のピークを成し、『史記』司馬遷も絡んでくる、武帝です。
其れ孝文皇帝の廟の為に、昭德の舞を為(つく)り、以て休德を明かにせよ。
孝文皇帝の廟のために、昭德の舞をつくり、美德を明かにせよ。
然る後、祖宗の功德、竹帛に著はれ、
かくすれば、祖と宗の功績と美德は記録に著われ、
萬世に施し、【永永、窮まり無からん】。
万世に施されて、永久に窮まりないであろう。
朕甚(はなは)だ之を嘉(よみ)す。
これ、朕のはなはだよみするところである。
其れ丞相・列侯・中二千石・禮官と與(とも)に、
丞相・列侯・中二千石の祿を受ける高官・礼官らみなともに、
具(つぶさ)に禮儀を為(つく)りて奏せよ、と。
つぶさに孝文皇帝の廟をまつる礼儀と舞楽をつくって奏せよ。