何事もひろく学んで、知識を広め、詳しく問いただし、学問の道を究めることを表す四字熟語です。
儒学、特に「朱子学」でいう学問の道のりです。
学ぶ、問う、思う、弁ずる、行なうことを決してやめないことです。
【博学審問】は『四書』』の一つであります中庸にでています。『四書』といいますのは論語・孟子・大学・中庸です。南宋の儒学者朱熹(シュキ)が『礼記』中の「大学」「中庸」2篇を単独の書物として『論語』『孟子』と合わせ4人の代表人物、曾参(大学)・子思(中庸)・孔子(論語)・孟子(孟子)に関連づけて『四子』または『四子書』と呼びました。その略称が『四書』です。
【博学審問】は中庸の第十一章二節にでています。全文を書きます。
博(ひろ)くこれを学び、審(つまび)らかにこれを問い、
何事もひろく学んで、知識をひろめ、くわしく綿密に質問し、
慎(つつし)みてこれを思い、明らかにこれを弁じ、篤くこれを行う。
慎重にわが身について考え、明確に分析して判断し、丁寧に行き届いた実行をする。
(それが誠を実現しようと努める人のすることだ。)
学ばざることあれば、これを学びて能(よ)くせざれば措(お)かざるなり。
まだ学んでいないことがあれば、それを学んで十分になるまで決してやめない。
問わざることあれば、これを問いて知らざれば措かざるなり。
まだ質問していないことがあれば、それを問いただしてよく理解するまで決してやめない。
思わざることあれば、これを思いて得ざれば措かざるなり。
まだよく考えていないことがあれば、それを思索して納得するまで決してやめない。
弁ぜざることあれば、これを弁じて明らかならざれば措かざるなり。
まだ分析していないことがあれば、それを分析して明確になるまで決してやめない。
行わざることあれば、これを行いて篤からざれば措かざるなり。
まだ実行していないことがあれば、それを実行して十分に行き届くまで決してやめない。
人一たびしてこれを能くすれば、己(おの)れはこれを百たびす。
他人が一の力でできるとしたら、自分はそれに百倍の力をそそぎ、
人十たびしてこれを能くすれば、己れはこれを千たびす。
他人が10の力でできるとしたら、自分は千の力を出す。
果たしてこの道を能くすれば、愚なりと雖(いえど)も必ず明らかに、
もしほんとうにそうしたやり方ができたなら、たとい愚かな者でも必ず賢明になり、
柔なりと雖も必ず強からん。
たとい軟弱な者でも必ずしっかりした強者になるであろう。
人の百倍やらないとだめなんですねえ・・・・。