【天を敬(うやま)い人を愛する】ことを表した四字熟語です。
【敬天愛人】は西郷隆盛(南洲 :文政10年(1828年)1月23日~明治10年(1877年)9月24日)が明治8年以降、しばしば揮毫(キゴウ)した言葉です。
戊辰戦争で西郷の温情に基ずいた処置に感謝、敬服した旧庄内藩の人達が西郷に教えを請い、西郷から聞いた話をまとめたものが『南洲翁遺訓:ナンシュウオウイクン』です。
『南洲翁遺訓』は、遺訓41条、追加2条、その他の問答と補遺から成るものです。
【敬天愛人】は遺訓21条、にでてきます。
第二十一ケ条
道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は【敬天愛人】を目的とし、身を修(シュウ)するに
克己(コッキ)を以て終始せよ。
己に克つの極功(キョクコウ:目的)は、『毋意(イなく)、毋必(ヒツなく)、毋固(コなく)、
毋我(ガなく)』。
総じて人は、己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗(やぶ)るるぞ。
能く古今の人物を見よ。
事業を創起する人、其事大抵十に七八迄は、能く成し得れども、残り二つを終る迄、成し得る
人の希(まれ)なるは、始は能(よ)く己を慎み、事をも敬する故、功も立ち名も顕はるるなり。
功立ち名も顕(あら)はるるに随ひ、いつしか自ら愛する心起り、恐懼(キョウク)戒慎(カイシン)
の意弛(イゆる)み、驕矜(キョウキョウ)の気漸(ようや)く長じ、其の成し得たる事業を屓(たの)
み、苟(いやしく)も我が事を仕遂(しとげ)んとて、まづき仕事に陥いり、終(つい)に敗(やぶ)
るるものにて、皆自ら招く也。
故に己に克ちて、睹(み)ず聞かざる所に戒慎するもの也。
1671年(康煕10年)康煕字典で有名な清の康煕帝が【敬天愛人】という扁額を書いて、キリスト教会に与えたことが起源のようです。
中村正直がサミュエル・スマイルズの『自助論』を翻訳し、『西国立志編』として明治4年(1871年)7月に日本で出版されました。この中で【敬天愛人】を紹介しているそうです。