【肝脳(カンノウ)、地(チ)に塗(まみ)る】と読みまして、戦いによってむごたらしい死に方や、殺され方をして遺体が泥にまみれることを言います。
出典は『史記』劉敬(リュウケイ)叔孫通(シュクソントウ)列伝第三十九です。
紀元前202年、劉敬が国境警備の兵として隴西(ロウセイ)へ行く途中劉邦のいる洛陽を
通ったとき、劉邦に面会を求め、洛陽を都とした 周 と漢との違いを述べ、天然の要害である
秦 の故地 長安 を都にすべきと進言しました。その時の話の中に【肝脳、地に塗る】が出てきました。
大戰七十、小戰四十。
大戰は七十、小戰は四十なり。
大戦は七十回、小戦は四十回です。
使天下之民肝腦塗地、
天下の民をして肝腦を地に塗れしめ、
このために天下の民を死傷させて、その遺体を泥にまみれさせ、
父子暴骨中野、不可勝數。
父子(フシ)の骨を中野(チュウヤ)に暴(さら)すこと、勝(あ)げて數うべからず。
父子ともに骨を野にさらさせたことは、とても数え切れません。






























