【千仞之谿】は非常に深い谷のことを言います。
仞は尋とも書きまして、「ヒロ」を表します。「ヒロ」は両手をヒロげたときの長さに相当する、長さの単位です。
仞は七尺とも八尺とも言われてます。一尺は22.5㎝ですから、
千仞=22.5×7尺×千 となりまして、約1600mです。深いですねエ~。
『孫子』形篇にでてくる四字熟語です。
この形篇の「形」と言いますのは、守備と攻撃の二通りの形式のことを言ってます。
孫子が言うには
戦う前から勝敗は決まってる、準備の段階で勝者と敗者は、はっきりと分かれるのだそうです。
勝利する側は、いろんな場面を想定して、戦う前から勝つための万全の準備をする。
敗北する側は、臨機応変を旨として予め準備をしない。準備をしたとしても、最低限の準備しかしない。
であるから、戦う前から勝敗は決まっている、ということになるようです。
勝を称(はか)る者の民を戦わすや、積水を千仞の谿に決するが若(ごと)きは、形なり。
勝者が人民を戦闘させるにあたり、あたかも満々とたたえた水を、千仞の谿へ
決壊させるように仕組む。それこそが勝利に至る態勢なのである。
【千仞之谿】は形篇全体のまとめの戦法です。
溜めた水を、千仞の谿谷(ケイコク)に向けて決する時、もはや何者もその勢いを止めることは出来ません。
将軍はこうした必勝の態勢を構築することにこそ努力すべきである。と孫子は言っています。
明治34年(1901年)発行の「中学唱歌」に掲載された、『箱根八里』に【千仞之谿】の語句があります。
作詞:鳥居忱、作曲:瀧 廉太郎
箱根の山は 天下の険
函谷関(カンコクカン)も 物ならず
万丈(バンジョウ)の山 千仞(センジン)の谷
前に聳(そび)え 後(しりえ)に支(さそ)う
雲は山をめぐり
霧は谷をとざす
昼なお暗き杉の並木
羊腸(ヨウチョウ)の小径(ショウケイ)は
苔(こけ)滑らか
一夫関(イップカン)に当るや万夫(バンプ)も開くなし
天下に旅する剛毅(ゴウキ)の武士(もののふ)
大刀(ダイトウ)腰に足駄(あしだ)がけ 八里の岩ね踏み鳴らす
斯(か)くこそありしか往時(オウジ)の武士(もののふ)
東京音楽学校の鳥居忱(とりいまこと) 教授が自作の詩を生徒に見せ、曲を付ける者を求めた所、瀧廉太郎ひとりが手をあげたそうです。瀧は当時21歳。