主人や他人のために力を尽くして働くことを謙遜(ケンソン)していうときの四字熟語です。
出典は特に見当たりません。市販の四字熟語辞典には『韓非子:五蠧(ゴト)篇』を出典として揚げていますが、それは【汗馬之勞】のことです。 『今日の四字熟語No. 463 【汗馬之勞】』を参考までに
ご覧ください。
【犬馬之労】は明の羅貫中(ラカンチュウ)による『三国志演義』の中で、諸葛孔明の言った言葉の中にでてきます。
第三十八話:三分を定め 隆中(リュウチュウ)にて策を決し、長江に戦い 孫氏讐(あだ)を報ず。
劉備が孔明を三度めに尋ねたとき、すなはち【草廬三顧】の最後の時、【犬馬之労】を尽くさせていただきます、と孔明が言いました。
井波律子さん訳『三国志演義』より、その場面をご紹介します。
劉備は拝礼して諸葛亮に要請した。
「私は名もなく仁徳も薄い身でありますが、なにとぞ先生には卑賤な私をお見捨てなく、山を出て力を
貸していただきたく存じます。私は謹んでお教えを承ります。」
「私は長年、農耕生活を楽しみ、世間に出るのは億劫ですので、ご命令に従うことはできません」と
諸葛亮。
「先生が出馬なさらなければ、天下の民はどうなるのですか」と言いおわるや、
劉備は上衣の袖にハラハラと涙をこぼし、襟をぐっしょり濡らした。
諸葛亮はその真心あふれるようすを見て、やっと
「将軍が私をお見捨てになりません以上、【犬馬の労】を尽くさせていただきます」と言った。
実際に諸葛孔明が、【犬馬之労】を尽くさせていただきます、と言ったかどうかはわかりません。
正史『三国志』にはそのような記載はありません。
ただ、建興5年(227年)、諸葛亮が主君の劉禅(リュウゼン)に奉った上奏文、
所謂「出師表:スイシのヒョウ」には
私(諸葛亮)を草廬の中に三度も訪れて、私に当世のことをお尋ねになりました。私はこのことで
感激し、そのまま先帝(劉備)に仕えて奔走することを承諾したのです。
と記載があります。