【一斑を見て全豹を見る】と訓読みされまして、物事の一部分だけを見て全体を推測することを表している四字熟語です。【全豹一斑:ゼンピョウイッパン】とも言います。
豹の一つの模様を見て、豹の全体を推測することから、見識の狭いことのたとえです。
同義の言葉に
【管中(カンチュウ)より豹を窺(うかが)う:管(くだ)から見ただけで全体をおしはかること】
【筦(カン)を以て天を窺い、蠡(レイ:小さなお椀)を以て海を測る】(『文選』東方朔伝)
【葦の髄から天井を覗(のぞ)く】
【井の中の蛙、大海を知らず】
などがあります。
二字熟語に「管見:カンケン」があります。
『世説新語』にあるお話の一つです。
晉(シン)の王献之(オウケンシ)は数歳のころ、書生・居候といった連中が、樗蒲(チョボ:ばくち)を
やっているのを見ていましたが、勝負がついたなとみて、
「南風(ナンプウ)競(きそ)わず:一方のはたいろが悪いね」と言いました。
諸門生、其の小児なるを軽んじ、迺(すなは)ち曰く
書生たちは、王献之が子供であるのを侮(あなど)って言いました。
此の郎(ロウ)も【亦管中より豹を窺ひ、時に一斑を見るのみ】、と。
この坊やも、管の穴から豹を覗いて、たまたま一斑を見つけただけだね。
(書生たちの本音:チョット見ただけで、子供なんかに分かってたまるか)
そう言われた王献之は怒って、その場をサッサと立ち去りました。
王献之は書聖・王羲之(オウギシ)の息子です。
草書、隷書にすぐれ父と共に『二王』と呼ばれました。