【夜(よる)深く人(ひと)靜かなるとき、獨(ひと)り坐(ザ)して心を観(カン)ず。】と読みまして、夜が更けて人々が寝静まった時、ただ独り坐禅して自分の本心を観察する、という意味です。
出典は『菜根譚』前集九です。
夜深人靜、獨坐觀心、
夜深く人静かなるとき、獨り坐して心を観ぜば、
夜が更けて人々が寝静まった時、ただ独り坐禅して自分の本心を観察すると、
始覺妄窮而眞獨露。
始めて妄(モウ)窮まりて、眞(シン)獨(ひと)り露(あらわ)なるを覺(さと)る。
始めていろいろの妄念がはたらかなくなって、ただ本来の清らかな真心だけが
はたらくのがわかる。
每於此中、得大機趣。
毎(つね)に此の中に於いて、大機趣(ダイキシュ)を得(う)。
そしていつもその真心がはたらいているときに、自由自在な心のはたらきを得ることができる
既覺眞現而妄難逃、
既に眞(シン)現われて妄の逃(のが)れ難きを覺(さと)らば、
このようにして、すでに真心があらわれても、妄念を除くことは難しいことを悟ると、
又於此中、得大慚忸。
また此の中において、大慚忸(ダイザンジク)を得(う)。
妄念の除き難いことを反省すればおのずから懺悔の心がわいてくる。