【止(とど)まるを知るは殆(あや)うからざる所以(ゆえん)なり。】と読みまして、自分の欲望について限度を心得、満足を知ることが、身を安全におく道である、という意味です。
出典は『老子』三十二章です。
知止所以不殆。
止まることを知るは殆(あや)うからざる所以(ゆえん)なり。
自分の欲望について限度を心得、満足を知ることが、身を安全におく道である、
譬道之在天下、
道の天下に在(あ)るを譬(たと)うれば、
この様な「道」の在り方は、例えるなら
猶川谷之於江海。
猶(な)お川谷(センコク)の江海(コウカイ)に於(お)けるがごとし。
大きな海が数々の川の流れを集めながら最も低い位置に存在しているかの様である。