【人(ひと)飲食(インショク)せざるは莫(な)きなり、能(よ)く味を知ること鮮(すく)なきなり。】と読みまして、
どんな人でも飲食しないものはない。しかしその味わいを本当に分かるものはすくない、という意味です。
『中庸の道』が実践されていない理由の喩えの言葉です。
出典は『中庸』第四章です。
子曰、道之不行也、我知之矣。
子曰く、道の行われざるや、我これを知れり。
孔子が言いました。中庸の道が実践されないことについては、私はその理由を知っている。
知者過之、愚者不及也。
知者はこれに過ぎ、愚者は及ばざるなり。
知者は(知ることに)過剰で(実践を軽んじ)、愚者は(知ることに)不足があるからである。
道之不明也、我知之矣。
道の明らかならざるや、我これを知れり。
(中庸の)道がはっきり認識されないことについては、私は(その理由を)知っている。
賢者過之、不肖者不及也。
賢者はこれに過ぎ、不肖者(フショウシャ)は及ばざるなり。
賢者は実践に過剰で(認識を軽んじ)、不肖者(劣った者)は(実践に)不足があるからである。
人莫不飲食也。鮮能知味也。
人飲食せざるは莫きなり。能く味を知ること鮮なきなり。
どんな人でも飲食しないものはない、しかしその味わいを本当に分かるものはすくない。
【中庸の道】とは、どちらにも偏らず、常にバランスの取れた状態を保つこと、だそうです。