倹約に努め励むことを表す四字熟語です。
中国春秋時代の斉の宰相であった晏嬰(アンエイ:? ~B.C.500年)を評して司馬遷が
『史記』:管晏列伝(管仲:カンチュウと晏嬰)の中で用いた四字熟語です。
司馬遷は『史記』列伝において、最初に「伯夷(ハクイ)叔斉(シュクセイ)列伝」をもってきてその次に「管晏列伝」を持ってきています。
晏嬰は春秋時代で一、二を争う名宰相と言われています。その言行録として『晏子春秋』があります。
司馬遷(B.C.145年~B.C.86年)は、いま晏子が生きていたら、その御者としてでも仕えたい、とまで慕っていました。
晏嬰は、萊(ライ)の夷維(イイ)の人なり。
晏嬰は莱の夷維の人である。
斉の霊公・荘公・景公に事(つか)へ、
斉の霊公・荘公・景公に仕え、
【節倹力行】を以て斉に重んぜらる。
その倹約と努力によって斉で重んじられた。
既に斉に相たり、
斉の宰相となってからも
食に肉を重ねず、妾(ショウ)に帛(ハク)を衣(き)せず。
食事のとき肉は一種類であり、女たちには絹を着せなかった。
其の朝(チョウ)に在るや、君の語之に及べば即ち言を危(たか)くし、
朝廷に出仕していて、君公が下問すると正論を述べ、
語之に及ばざれば即ち行ひを危(たか)くす。
下問されないときは、誠意をもって行動するようにつとめた。
国に道有らば即ち命に順ひ、
国に正しい政治が行われていれば天命に従い
道無ければ即ち命を衡(はか)る。
正しい道が行われていないときは天命をおしはかって行動した。
此れを以て三世名を諸侯に顕(あらわ)す。
このため、斉は三代にわたって諸侯に名声が響き渡った。