人間の生まれたままの性質は悪であり、それを善というのは人為的な努力を加えた結果である。『荀子』性悪篇の冒頭の四字熟語です。
【人之性悪:人の性は悪なり】。其の善なる者は偽なり。
人の本来の性質は悪である。それが善であるというのは、努力の結果、そうなったのである。
【性悪】の例として
①人は、生まれながらにして利益を好む性質がある。
このままにすると、争いが生じて、譲るということがなくなる。
②人は、生まれながらにして嫉(ねた)み憎む性質がある。
このままにすると、他人に危害を加えることをし、誠の心が失われる。
③人は、生まれながらにして美声美色を好む性質がある。
このままにすると、みだらな行為が発生し、礼義や条理がなくなってしまう。
などを挙げています。
学問・礼儀という、「偽」(人が作ったもの)を後天的に学ぶことによって善に向う、と言ってます。
『荀子』の巻一は「勧学:カンガク」篇です。真っ先に『学ぶことを勧』めています。
一方、孟子は
人の性の善なるは、猶(なほ)水の下(ひく)きに就くがごときなり。
人間の本性が、善であるのは、ちょうど水が低い方へ流れるのと同じようなものだ。
として性善説を主張しました。善であるというのは、
四端といわれている、①惻隠の心、②羞悪の心、③辞譲の心、④是非の心、を生まれながらに持っているからだと言ってます。
そうして、この四つの心を育てて大きくしなさい。すなわち『学びなさい』、と言ってます。
孟子(B.C.372 ~ B.C.289)も荀子(B.C.313?~ B.C.238?)も同じ儒学の流れです。
儒学の基本態度である『学び』を両者とも受け継ぎ、努力して学ぶことを通じて、徳を身に付けると説く点では、実は同じだと思われます。
『性善説』は「人は生まれつきは善だから、学びによって大きくしなさい」
『性悪説』は「人は生まれつきは悪だから、学びによって善にしなさい」
と私は考えます
孟子が『孟子』を門人の萬章(バンショウ)たちとまとめ上げたのは、60代~70代の頃です。
その頃荀子はおそらくまだ幼児期だったでしょう。
荀子が『荀子』を著していた頃は、恐らく孟子は他界していたのではないかと思われます。