【百発(ヒャッパツ)も一を失(シツ)すれば、善射(ゼンシャ)と謂(い)ふに足(た)らず。】と読みまして、
弓百発を射て、一回でも失敗すると、弓の名人とは言われない、という意味です。
出典は『荀子』勧学篇です。
百發失一、
百発も一を失すれば、
百度も弓を引いた中で一回でも失敗すると、
不足謂善射、
善射と謂ふに足(た)らず、
それは完璧に弓を射たとは言えない、
千里蹞歩不至、
千里も蹞歩(キホ:半歩)にして至(いた)らざれば、
(千里の道のりを、馬車を御し続けながら、)千里に到着する半歩手前で止ってしまえば、
不足謂善御
善御(ゼンギョ)と謂ふに足らず。
それは完璧に馬を御したとは言えない。
仁義不一
仁義、一ならざれば
仁義と一つになって日常生活をととのえて行くことができないなら、
不足謂善學
善學と謂うに足らず
完全に学んだということは出来ない
學也者
學なる者は
学問というものは、
固學一之也
固(もと)より學んで之を一にするなり
元来、学問とは、その極致まで行わなければ、学んだとは言えない。