【心に忿懥(フンチ)する所(ところ)有れば、則(すなわ)ち其の正しきを得(え)ず】と読みまして、心の中に忿(いかり)を持っているときは、何をやっても正しい処置をとることは出来ない、という意味です。
出典は『大學』傳七章です。
  所謂脩身在正其心者、
  所謂(いわゆる)身を脩(おさ)むるは其の心を正すに在りとは、
     身の行いを修めるにはまず自分の心を正さなければならない、というのは、
  心有所忿懥、
  心に忿懥する所有れば、
     心に怒りがあれば(過度の感情に影響されて心は)
  則不得其正、
  則ち其の正しきを得ず、
     正しい状態を失う
  有所恐懼、
  恐懼(きょうく)する所有れば、
     心に恐れおののくことがあれば、
  則不得其正。
  則ち其の正しきを得ず。
     正しい状態を失う
  有所好樂、
  好樂(コウゴウ)する所有れば、
     好み求めることがあれば
  則不得其正、
  則ち其の正しきを得ず、
     正しい状態を失う
  有所憂患、
  憂患(ユウカン)する所有れば
     憂い患うことがあれば
  則不得其正。
  則ち其の正しきを得ず。
     正しい状態を失う













 
 

















