はじめは少しの違いが、そのうち大きな誤りとなること。
また、はじめはごく小さな違いでも、しまいには大きな違いになることを表す四字熟語です。
【毫】は、「毛+高」の形声文字です。高は 「豪:やまあらし」と同じような意味です。
細く長くとがった毛をいいます。
【釐】は、きわめて小さい量をあらわします。
【毫釐】は、少し。わずか、の意味となります。
『礼記』の経解(ケイカイ)篇にでています。
故に禮の教化や微なり、
こうしたわけで、礼の教化は(罪悪の)微細なるうちに行なわれねばならず、
其の邪を止(とど)むるや、未だ形(あらは)れざるに於てす、
邪悪が形を取って現れないうちに、防ぎとどめねばならないのであって、
人をして日に善に徙り罪に遠ざかりて自ら知らざらしむるなり。
人々を教化して、日に日に善に進み、悪を遠ざかって、自身では気づかない
ようでなければならない。
是を以て先王之を隆(たっと)ぶなり。
それゆえ昔の賢王たちは礼を尊んだ。
易に曰く、君子は始を慎む。
易経に、君子は始を慎む。
差(たが)ふこと若し毫釐ならば、繆(あやま)るに千里を以てせんと。
もし始に一里でも狂っていると、後には千里の開きを来たす。とあるが、
此の謂なり。
それは、以上の趣旨に合っているのである。
『史記』大史公自序に、
春秋戦国の諸侯の栄枯盛衰を糾明している所で
みな根本を失ったという一点からであり、易経にあるように
一毫一釐の微細な点で過っても、その結果は千里の差を生ずる。また、
『家来が主君を殺し、子が父を殺すのは、一朝一夕の理由からではない。久しい間次第に進んで
そうなるのである』
と表現しています。