【百日(ヒャクニチ)の勞(ロウ)、一日(イチニチ)の楽(ラク)。】と読みまして、百日も働いたら、一日くらいゆっくり休養したほうがよいという意味です。働くばかりではなく、たまには休むほうがよいということです。
出典は『孔子家語』觀鄕射篇です。
孔子の弟子:子貢(シコウ)が蜡祭(ササイ:一年の最後の十二月に多くの神を祀る祭り)を見学して来たときの孔子との対話です。
孔子曰、賜也樂乎。
孔子曰く、賜(シ:子貢)や樂しきか、と。
孔子が言いました、賜よ、楽しかったか。
對曰、一國之人皆若狂。
對えて曰く、一國の人皆狂(キョウ)せるが若し。
子貢が言いました、国中の人が、うかれて狂っているようでした。
賜未知其爲樂也。
賜、未だ其の樂しみ爲(た)るを知らざるなり、と。
わたくしには、何がそんなに楽しいのか分かりませんでした。
孔子曰、百日之勞、一日之樂、一日之澤、非爾所知也。
孔子曰く、百日の勞、一日の樂しみ、一日の澤(タク)、爾(なんじ)が知る所に非(あら)ざるなり。
孔子が言いました、百日も働いたあとに、一日だけ恵まれた祭りを楽しむという
その楽しみは、お前には分かるまい。
張而不弛、文武弗能也。
張(は)りて弛(ゆる)めざるは、文武も能くせ弗(ざ)るなり。
張りっぱなしで弛めないことは、文武ではやらない。
弛而不張、文武弗爲也。
弛めて張らざるは、文武も爲(な)さ弗(ざ)るなり。
また、弛めたままで張ることをしないということも、文武ではやらない。
一張一弛、文武之道也。
一張(イッチョウ)一弛(イッシ)は、文武の道なり、と。
張ったり弛めたりが文武の道である。