【好悪(コウオ)なる者(もの)は、德(トク)の失(シツ)なり。】と、読みまして、好き嫌いというものは、德を失わせるもとであるという意味です。感情的に好悪の念を激しくすることは自分自身を修める上には好ましいことでなく、人に対しても大いに愼むべきであろう、と思われます。
出典は『荘子』刻意篇です。
荘子(荘周)の思想は無為自然を基本とし、人為を忌み嫌うようです。荘子は俗世間を離れ無為の世界に浸りきっているようです。私見ですが。
非樂者、德之邪
非樂は德の邪なり
悲しみや楽しみは自然の德をさまたげるものであり
喜怒者、道之過
喜怒は道の過なり
喜びや怒りは真実の道からはずれたものであり、
好悪者、德之失。
好悪は德の失なり。
好みや憎しみは自然の徳を失わせるものだ。
故心不憂楽、德之至也。
故に心の憂楽せざるは德の至りなり。
従って、心で憂楽の感情を動かさないのは、徳の極致である。