【一瀉千里】、文字どおりには、水が勢いよく、一気に流れ出て、長い距離を流れ下る様子を表したものです。
このことから、物事が一気に捗(はかど)ることを表し、とくに文章が澱(よど)みなく綴られることを意味します。
【一瀉千里】の【瀉】は「氵+寫」の形声文字です。
旁(つくり)の「寫」は「宀+舄」からできていまして、「宀:ベン」は廟を表しています。
「舄」は「舃:セキ」の俗字で、「舃」は廟での儀式の時にはく「くつ」を表す字です。
「寫」は、普段はいている「履:くつ」を廟中で儀礼用の「舃:くつ」に履き替えることから、
「寫」には「取り除く、移す」などの意味が生まれたようです。
それで【瀉】は、「そそぐ、のぞく、はく」の意味になりました。
尚、余談ですが、写真の「写」の字の正字は「寫」です。「写(冩)」のように「宀」を「冖」に換えてしまったのを俗字と言ってますが、むしろ誤字です。
清代、公務員の政治的心得を説いた指導書である『福恵全書:フクケイゼンショ』に
儼然(ゲンゼン)たる峡裡(キョウリ)の軽舟、片刻(ヘンコク)に一瀉にして千里す。
険しい谷間をゆく軽快な舟は、あっという間に千里も下る。
としまして【一瀉千里】がつかわれています。
有島武郎の『或る女』の前篇・第17章に【一瀉千里】がでてきます。
なんの気なしに小卓の前に腰をかけて、大切なものの中にしまっておいた、そのころ日本では
珍しいファウンテン・ペンを取り出して、筆の動くままにそこにあった紙きれに字を書いてみた。
「女の弱き心につけ入りたもうはあまりに酷(むご)きお心とただ恨めしく存じ参らせ候、妾(わら
わ)の運命はこの船に結ばれたる奇(く)しきえにしや候いけん心がらとは申せ今は過去のす
べて未来のすべてを打ち捨ててただ目の前の恥ずかしき思いに漂うばかりなる根なし草の身
となり果て参らせ候を、事もなげに見やりたもうが恨めしく恨めしく死」
と、なんのくふうもなく、よく意味もわからないで【一瀉千里】に書き流して来たが、「死」という字に
来ると、葉子はペンも折れよといらいらしくその上を塗り消した。
今日は
七十二候の第九候 【菜虫化蝶】、菜虫(なむし)、蝶と化す。 3月15日~3月19日 です。