高い山に登ってみなければ、天の高さを知ることはできない、という意味です。
前文に、博く学んで日々に何度も反省すれば智も明晰で行為にも過失がなくなる、とありまして
そのあと、『故に高山に登らざれば、・・・・・・』と続き、最後に教育が大事であると言ってます。
『荀子』勧学篇の冒頭にみえる言葉です。
故不登高山、
故に高山に登らざれば、
だから、高い山に登ってみなければ
不知天之高也、
天の高きを知らず、
天の高さを知ることはできず
不臨深谿、
深谿(シンケイ)に臨(のぞ)まざれば、
深い渓谷を間近に見てみなければ、
不知地之厚也、
地の厚きをしらず、
大地の厚さを知ることはできず、
干越夷貉之子、
干越夷貉の子、
干や越、夷や貉といった異民族の子供らは、
生而同声、
生まれたるときは而ち声を同じくするも、
生まれたときは同じように産声を上げるが、
長而異俗、
長ずれば而ち俗を異にするは、
成長すれば異なった風俗を身に付ける、
教使之然也。
教へ之をして然らしむるなり。
これは教育がそうさせているのである。