【君子(クンシ)の過(あやま)ちや、日月(ジツゲツ)の食(ショク)のごとし。】と読みまして、君子(=教養人)の過ちは、日食や月食のようなもので、過ちを犯すと人々はこれを見ている。という意味です。
出典は『論語』子張第十九です。
人間は誰でも過ちを、しがちです。
君子(=教養人)の場合は、日蝕や月蝕のように、過ちは誰の目にも明らかになります。
対処の仕方によって、軽蔑されたり、称賛されたりします。
子貢曰。
子貢(シコウ)曰く、
子貢が云いました、
君子之過也。
君子の過ちや、
(君子と雖も過ちがない訳ではないが、過ちに対処するしかたによって、
その人の価値がわかるものである)
君子の過ちは、
如日月之食焉。
日月(ジツゲツ)の食(ショク)のごとし。
日蝕や月蝕のように、誰の目にも明らかである。
過也人皆見之。
過(あやま)つや人皆之を見る。
過ちだとわかると、みんな見て知っていることになり、
更也人皆仰之
更(あらた)むるや人皆之を仰(あお)ぐ。
君子(=教養人)は過ちに気付くと言い訳することなく直ちに改めるものだから、
人々は一層、賞賛するようになるのである。