【累卵(ルイラン)の危(あや)うき】と訓読みされまして、極めて不安定で危ういことの喩(たと)えを表します。卵を積み上げたように、壊れやすく危険な状態を言います。
【危うきこと累卵の如(ごと)し】、とか【累卵より危うし】など類似の表現はいろいろありますし、
『韓非子:カンピシ』、『戦国策:センゴクサク』、『史記:シキ』、など諸書に見られます。
1)『韓非子』十過には
晋の公子重耳(チョウジ:後の文公)が亡命の途中、曹(ソウ)へ行った時、曹公は、重耳の肋骨は
つながっていて、あたかも一枚の骨のようだとの噂を聞いていた。公子を裸にしてわざわざこれを観た。
ただ曹の大臣の釐負羈(キフキ)だけは密かに夜中、人をやって黄金を贈った。
春秋五覇の一人になった、晉の文公(重耳)は、兵を挙げて曹に攻め込んできた。釐負羈は攻撃を免れた。
故(そ)れ曹は小国なり、晋・楚の間に迫られ、
(だからこそ礼は大切なのだ)曹は小国で晉・楚の間に挟まれている。
其の君の危うきこと猶を【累卵のごときなり】。
その国の危うきことは、累卵のごときではないか。
2) 『戦国策』には
合従策を唱えていた蘇秦(ソシン)が、趙の宰相李兌(リタイ)に献策した時の話としてでてます。
今、君、主父(シュホ)を殺して之を族す。
ところで、君には、主父を殺してその一族を皆殺しになさいました。
君の天下に立つや、【累卵よりも危うし】。
君が天下に臨まれるのは、【累卵よりも危うし】でございます
君、臣の計を聴かば則ち生きん。
君が臣(わたくし))のはかりごとをお聞き入れになれば、お命が続きましょう。
君、臣の計を聴かずんば則ち死せん。
君が臣のはかりごとをお聞き入れにならねば、お命を落とされましょう。
3) 史記』范雎(ハンショ)蔡澤(サイタク)伝には
秦の昭王(B.C.306~B.C.251)の時
魏の国へ使いしていた王稽(オウケイ)が、帰国報告を終えた時、秦王に言いました、
魏の張祿(チョウロク:范雎の別名)先生は天下の外交官です。秦の政治を批評して
秦王の国は【累卵より危うし】といい、
しかしこの私をお用いになれば、御国は安泰でしょう。
『不幸にして手紙を差し上げようにも、今まで機会がありませんでした』と言っております。
これが張祿先生をお連れした理由です。
秦王はこの不遜な客を厚遇しようとはしなかった。一応下客の列に加えておいたのである。
范雎が真の才能を発揮しだしたのは、それから間もなくのことでした。