【屋下に屋を架す】と訓読みされまして、屋根の下にまた屋根を造るという意味から、無用なこと、無駄なことをするたとえです。
また、何の新味もなく、人の真似ばかりして独創性のないことのたとえにも使われます。
日本では、いつのころからか【屋下】ではなく【屋上】に換えて、【屋上、屋を架す】として訓読みで使われることが多いです。
『世説新語』にでているお話が、元になっています。
庾中初(ユチュウショ)という詩人が『揚都賦:ヨウトフ』という詩を作り、親戚の庾亮(ユリョウ)に見せました。
庾亮は親戚の誼(よしみ)もあり、大いにそれを評価しました。
人々は争ってそれを筆写したので、都の紙の値段が高くなり、【洛陽の紙価貴(たか)し】という状況を呈しました。
ところが、その詩を見た謝(シャ)太傅(タイフ:太傅とは太師、太保とならぶ三公の一つです)は、
爾(しか)るを得ず。此は是れ【屋下に屋を架する】のみ。
そうはいかない。それは屋根の下に屋根をかけたに過ぎない。
事事擬學(ジジギガク)して儉狹(ケンキョウ)たるを免れず
事々に真似をしていて、全くクダラン。
と言ったそうです。