蝶になって飛んでいる夢をみていたが、ふと目が覚めてみると、蝶じゃない自分がいた。
自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのではないだろうか。
【胡蝶之夢:コチョウのゆめ】は、中国の戦国時代の思想家:荘子(荘周:ソウシュウ)による説話です。荘子の考えがよく表されている説話として、またその代表作としてよく知られています。
生と死、大と小、美と醜、貴と賎、など現実に相対しているかに見えるものは、人間が頭の中で生み出した結果であって、それは「ただの見せかけに過ぎない」、と荘子は考えていたようです。
以下に【胡蝶之夢】がでているところの原文・読み下し文・口語訳を掲げました。
昔者、荘周、夢為胡蝶、栩栩然胡蝶也、
昔者(むかし)、荘周(ソウシュウ)、夢に胡蝶と為(な)る。栩栩然(ククゼン)として胡蝶なり。
むかし、荘周は自分が胡蝶になった夢を見た。喜々として胡蝶になりきっていた。
自喩適志與、不知周也、
自(みずか)ら喩(たの)しみて志(こころ)に適(かな)うか、周なることを知らざるなり。
自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。
俄然覚、則蘧蘧然周也、
俄然(ガゼン)として覚(さ)むれば、則(すなは)ち蘧々然(キョキョゼン)として周なり。
ふと目が覚めると、まぎれもなく荘周である。
不知、周之夢為胡蝶與、
知らず、周の夢に胡蝶と為るか、
荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、
胡蝶之夢為周與、
胡蝶の夢に周と為るか、
それとも(自分は実は胡蝶であって)蝶が荘周になった夢を見ているのだろうか。
周與胡蝶、則必有分矣、
周と胡蝶とは、則ち必ず分あらん。
荘周と胡蝶とは確かに、形の上では区別があるはずだ。
此之謂物化。
此(こ)れをこれ物化(ブッカ)と謂う。
(しかし主体としての自分には変わりは無く)これが物の変化というものである。
3月5日~3月19日は二十四節季の「啓蟄」です。
3月5日~3月9日は七十二候の第七候『蟄虫啓戸』です。
『今日の四字熟語 No. 107 蟄虫啓戸:チッチュウケイコ』も一読願います。