ガリレオ・ガリレイ(1564年2月15日~1642年1月8日)は、イタリアの自然哲学者、天文学者、数学者。
近代科学的な手法を樹立するのに多大な貢献をし、しばしば「近代科学の父」と呼ばれる。
また天文学分野での貢献を称えて「天文学の父」とも呼ばれる。
1564年 イタリアのピサ郊外で音楽家で呉服商のヴィンチェンツォ・ガリレイの長男として生まれる。
1581年(17歳) ピサ大学に入学(医学専攻)。
1585年(21歳)ピサ大学退学。家族でフィレンツェに移住。
1586年(22歳) 最初の論文『小天秤』を発表。
1589年(25歳)ピサ大学数学講師(一説では教授)に就任(3年契約)。
1591年(27歳) 父ヴィンチェンツォ死去。
1592年(28歳)ヴェネツィア共和国(現在のイタリアの一部)のパドヴァ大学教授(6年契約)となり移住。
1599年(35歳)マリナ・ガンバと結婚。1男2女をもうける。
1609年(45歳) 11月30日、月を観測し月が天体であることを理解する。
1610年(46歳)木星の衛星を発見、「メディチ家(トスカーナ大公家のこと)の星」と名づける。
1613年(49歳) 『太陽黒点論』を刊行。
1637年(73歳)片目を失明。翌年、両眼を失明。執筆は弟子と息子ヴィンツェンツィオによる口頭筆記。
1642年(78歳) アルチェトリにて逝去。