【鑑(かがみ)明(あき)らかなれば則(すなは)ち塵垢(ジンコウ)止(とど)まらず】と読みまして、きれいに磨かれた鏡にはちりあか一つ留まることがない。心をよく磨いて美しくしていれば、そこに汚い考えの宿ることがないという喩えです。
出典は『荘子』德充符篇です。
聞之曰
之を聞く 曰く
こういう言葉がある、
鑑明則塵垢不止,止則不明也。
鑑明らかなれば則ち塵垢止まらず,止まれば則ち明らかならずと。
鏡が光っていれば塵はつかない、塵がつくのは鏡が曇っているのだ。
久與賢人處則無過。
久しく賢人と處れば、則ち過ちなし。
長い間すぐれた人といっしょにいると、過ちはなくなるものだが、
今子之所取大者,先生也、
今、子の大を取る所の者は,先生なり、
いま君の尊敬して従っているのは、(われわれのあの)先生だよ、
而猶出言若是、不亦過乎
而(しか)も猶お言を出だすこと是(か)くの若し、亦た過(あやま)たずやと。
それなのにまだそんなことを口にするとは、ひどい過ちじゃないか。