【它山(タザン)の石(いし)も 以(もっ)て玉(ギョク)を攻(みが)く可(べ)きならん】と読みまして、 他の山にある石にて、 我が山の石を磨き上げよう、という意味の教訓詩であるとするのが多くの先生方のご意見です。
ところが、【它山の石も 以て玉を攻く可きならん】を含めて前後の句は新婚さんを祝福するものである、という解釈があります。
出典は『詩経』小雅・鶴鳴(カクメイ)です。
鶴鳴于九皋 聲聞于野
鶴(カク) 九皐(キュウコウ)に鳴き 声 野(ヤ)に聞こゆ
曲がれる澤に鶴は鳴き、その鳴き声は野にもとどく
魚潛在淵 或在于渚
魚(うお)潛(ひそ)みて淵(ふち)に在(あ)り 或(ある)いは渚(ショ)に在り
魚は深き淵に泳ぎ、また浅き水辺に泳ぐ。
樂彼之園 爰有樹檀
樂(たの)しきかな彼(か)の園(その)は 爰(ここ)に樹檀(ジュダン)有り
めでたき彼の國の地は、ムクノキが茂り
其下維蘀きかいたく
其の下には維(これ)蘀(タク)
ニワウルシが茂る繁栄の地。
它山之石 可以為錯
它山の石も 以(もっ)て錯(サク)と為(な)る可(べ)きならん
ここに嫁ぎし他国の娘も、玉を磨く砥石のごとく立派な妻となろう。
鶴鳴于九皋 聲聞于天
鶴 九皐(キュウコウ)に鳴き 声 天(テン)に聞こゆ
曲がれる澤に鶴は鳴き、その鳴き声は天にもとどく
魚在于渚 或潜在淵
魚 渚に在り 或いは潛(ひそ)みて淵(ふち)に在(あ)り
魚(うお)は浅き水辺に泳ぎ また深き淵に泳ぐ
樂彼之園 爰有樹檀
樂(たの)しきかな彼(か)の園(その)は 爰(ここ)に樹檀(ジュダン)有り
めでたき彼の國の地は、ムクノキが茂り
其下維穀
其の下には維(これ)穀(コク)
コウゾが茂る繁栄の地。
它山之石 可以攻玉
它山の石も 以(もっ)て玉を攻(みが)く可(べ)きならん
ここに嫁ぎし他国の娘も、玉を磨く砥石のごとく立派な妻となろう。