【危急(キキュウ)存亡(ソンボウ)の秋(とき)】と読みまして、存続するか滅亡するかの分かれ目の時という意味です。
「秋」は穀物が実る季節なので、大切な時という意味で使われます。
出典は諸葛亮『出師の表』です。
三国時代、蜀漢の二代皇帝劉禪(リュウゼン)にA.D.227年 ,諸葛孔明が魏と闘うために出征する時、奉った「出師(スイシ)の表」の中でこの【危急存亡の秋】の言葉が出てきます。
先帝創業未半、
先帝創業未(いま)だ半(なか)ばならずして、
先帝は漢王朝再興を始められましたが、道半ばにして、
而中道崩殂。
中道にして崩殂(ホウソ)す。
崩御されてしまいました。
今天下三分、
今天下三分して、
今、天下は三分され、
益州疲弊。
益州(エキシュウ)疲弊せり。
我が益州は疲弊しています。
此誠危急存亡秋也。
此れ誠に危急存亡の秋なり。
これはまさに益州の危機であり、存亡のかかった大事なときであります。
孔明の「出師の表」は、このあと
優秀な武人、賢臣の進言を受け入れ、不正を働く官僚には、厳罰をあたえるようにし、
前漢、後漢の興隆、衰退に学び、善政を敷いてください。
と劉禪に進言し、魏を討つべき命令を孔明に出してくれることを、願い出ています。
願わくは陛下、臣に託(たく)するに賊を討ち興復するの効(こう)を以てせよ。
臣、恩を受けて感激に勝(た)えず。今、遠く離るるに当り、表に臨んで涕泣(ていきゅう)し、
云う所を知らず。
と結ばれています。
孔明は魏と闘い続けて、七年後、五丈原に陣沒します。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」はこの時の話です。
「出師表」は古来名文と言われているようで、『文章規範』では「これを読んで泣かない者は不忠の人に違いない」とまで評しています。
私は泣けませんでした。 不忠 ・・・・・ か。