【家書(カショ)万金(バンキン)に抵(あた)る】と読みまして、家族からの手紙は、万金にも相当する、という意味です。旅にいると家族からの手紙は何よりもうれしいものであるということを表した言葉です。
出典は、杜甫の『春望』です。
唐の玄宗皇帝の時、安禄山の反乱(755年)に際し、杜甫は長安で賊軍に捕らえられてしまいました。
家族は鄜州(フシュウ)に避難していたが、家族からの消息は途絶えた。
その便りを待ち望む気持ちをうたった詩句です。
国破山河在 国破れて山河在り
城春草木深 城春にして草木深し
感時花濺涙 時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ
恨別鳥驚心 別れを恨(うら)んでは鳥にも心を驚かす
烽火連三月 烽火(ホウカ) 三月に連(つら)なり
家書抵万金 家書 万金に抵る
白頭掻更短 白頭 掻(か)けば更に短く
渾欲不勝簪 渾(すべ)て簪(シン)に勝(た)えざらんと欲す
杜甫が仕官という年来の希望が叶ったのは、四十三歳の時でした。なんとか希望がかない、これからという矢先に、突如、安禄山の乱が起きました。
安禄山は、玄宗皇帝の左右にはべる不忠の臣を討つと称して兵を挙げたのでした。
755年の5月、長安の都も危機に見舞われ、玄宗皇帝を始め長安に住まう官吏や貴族たちは、都落ちの
やむなきに至ったのでした。楊貴妃も一緒に逃げました。
杜甫もまた妻子の居た長安の東北方の片田舎へ命からがら脱走したのです。杜甫は、囚われの身となってしまいましたが、彼の官位はあまり高くはなく、また白髪頭の弱々しい老人であったから、生命を許されたばかりでなく、監視も比較的緩かったそうです。
そんな時に作られたのが「春望」です。
安禄山の乱はその後、史思明(シシメイ)親子の乱となって後を引き、完全に終結するのには9年かかりました。しかも当時にあっては世界随一の大国家であったろう唐王朝は、この乱によって最盛期を回復する力を失い、武人は割拠し、ずるずると沈滞していったのでした。つまり唐朝の基盤はこのとき破れたといっていいでしょう。