【博(ひろ)く之(これ)を學(まな)び、審(つまび)らかに之を問(と)う】と読みまして、幅広く学び、深く詳しく問いただす、という意味です。
学問をする態度を具体的に説き明かした文章の最初の一文です。
出典は『中庸』二十篇です。
『中庸』のメインテーマである【誠】に至るための修養法を述べたのが下記の文章です。
【博学:ハクガク】、【審問:シンモン】、のほかに【慎思:シンシ】、【明弁:メイベン】があり、
最後に【篤行:トクコウ】によって完成です。
この五つを体得するのが学問であって、特に【篤行】まで進まなくては真の学問とは言えないのだそうです。
原文 訓読文 口語訳を示しました。結構な長文です。
博學之、審問之、愼思之、
博く之を学び、審らかに之を問い、愼しみてこれを思い、
何事もひろく学び、くわしく綿密に質問し、慎重にわが身について考え、
明辯之、篤行之。
明らかにこれを弁じ、篤(あつ)くこれを行う。
明確に分析して判断し、丁寧に行き届いた実行をする。
有弗學、學之弗能弗措也。
学ばざることあれば、これを学びて能くせざれば措(お)かざるなり。
まだ学んでいないことがあれば、それを学んで充分になるまで決してやめない。
有弗問、問之弗知弗措也。
問わざるあり、これを問うて知らざれば措かざるなり。
まだ質問していないことがあれば、それを問いただして理解するまで決してやめない。
有弗思、思之弗得弗措也。
思わざるあり、これを思うて得ざれば措かざるなり。
まだよく考えていないことがあれば、それを思索して納得するまで決してやめない。
有弗辯、弁之弗明弗措也。
弁ぜざるあり、これを弁じて明らかならざれば措かざるなり。
まだ分析していないことがあれば、それを分析して明確になるまで決してやめない。
有弗行、行之弗篤弗措也。
行わざるあり、これを行うて篤からざれば措かざるなり。
まだ実行していないことがあれば、それを実行して充分に行き届くまで決してやめない。
人一能之、己百之、
人一たびしてこれを能くすれば、己れはこれを百たびす。
人が一の力で出来るとしたら、自分はそれに百倍の力を注ぎ
人十能之、己千之。
人十たびしてこれを能くすれば、己れはこれを千たびす。
人が十の力で出来るとしたら、自分はそれに千倍の力を注ぐ。
果能此道矣、
果たしてこの道を能くすれば、
もし本当にそうしたやり方ができたならば、
雖愚必明、
愚なりと雖も必ず明らかに、
たとい愚かな者でも必ず賢明になり、
雖柔必強。
柔なりと雖も必ず強からん。
たとい軟弱な者でも必ずしっかり者になるであろう。