成功させるために、いろいろ走り回って物事をとりまとめる苦労を言います。
もともとの意味は、戦場で手柄を得るために、馬に汗を掻かせるほどに走り回る労力を言います。
出典は
『韓非子』五蠧(ゴト)篇、
『史記』蕭相国(ショウショウコク)世家、
『戦国策』楚策、
などです。
『韓非子』では、国を害する五種類の蠹(きくいむし)の説明の中にでてきます。五蠧というのは
1)学者 2)雄弁家 3)やくざ者 4)権力者の側近 5)商工従事者 です。
【汗馬之勞】はその中で、4)権力者の側近 に関連した話としてでてきます。
其の御(ギョ)を患(わづら)ふ者は、私門(シモン)に積み、貨賂(カロ)を盡(つく)し、
戦争の労役を忌避するものは、豪族に贈り物を積み、また及ぶ限りの賄賂をして
重人(チョウジン)の謁(エツ)を用ひ、汗馬之勞を退(しりぞ)く。
権臣に取持ちをたのみ、そうやって汗馬之勞(国のためのを苦労)から逃げる。
『史記』蕭相国(ショウショウコク)世家では
漢の高祖:劉邦(リュウホウ)が天下を統一したとき、蕭何(ショウカ)を厚く遇(もてな)しました。
ほかの将軍たちは面白くない。
「われわれは身に鎧(よろい)をまとい、剣をとり。戦うこと百余戦。命がけの毎日でした。
今、蕭何は、未だ嘗(かっ)て汗馬の労有らず、
ところが今、蕭何は、未だ嘗て馬に汗した労苦もなく
徒(いたずら)に文墨を持して議論するのみにして戦はず。
ただいたずらに手に墨を持って議論するだけで戦ったこともないのに、
顧反(かえ)って臣等の上に居るは、何ぞや
(その功を賞して)かえって我等の上にいるのは、どうしてでしょうか」
高祖は説明しました。
「蕭何の戦略があったればこその、諸君らの戦功だ。」
群臣はみなそれ以上 言う者はありませんでした。
『戦国策』楚策では
張儀が秦のために「合従」の連合を打ち壊し、楚と「連衡」を結ぶため、楚の懐王を説き伏せている場面で、
【汗馬の労】の言葉が出てきます。
水を下って浮かばば、一日に行くこと三百四里。里数多しと雖(いえど)も、汗馬の勞を費やさず、
江水で下り、一日の行程は三百余里、里数は多くとも、陸路で馬に汗をかかせることもなく
十日に到らずして扞關(カンカン)に距(いた)らん
十日もたたぬうちに、(楚の)扞關の町に到着します。
この場合の【汗馬の労】は文字通り馬に汗を掻かせるような苦労はさせないという意味です。
すなはち、船で行けば、元気なままで楚の国を攻めることが出来ますし、攻め込まれると楚の国は一溜まりもありませんよ、と嚇(おど)しているところです。
いろんな【汗馬の労】があるようです。