一纏めに(悪人を)捕え尽くすことを表す四字熟語です。一回の投網で魚を捕らえつくす意味からきています。原文の読み下し文は【一網に打ち去り尽くせり】となります。
【尽】の正字体は【盡】で、聿(刷毛)+灬(水滴の形)+皿(器)から構成された会意文字です。
器の中に刷毛を入れ、水を加えて器を洗い尽くすことを表す様子を文字化したものです。
常用漢字の【尽】は【盡】の省略体です。省略体などを通用させるから、文字の字源が
分からなくなるのです。
【盡】を共通に持つ字としまして、
【儘:ジン。そのまま。儘ならぬ世】、
【燼:ジン。もえのこり、灰燼に帰す】、
【贐:ジン。はなむけ(馬のハナを行く方向にムケる)。贐の言葉】
などがあります。
【一網打尽】は宋(960年~1126年)の四代目・仁宗(1022年~1063)皇帝の時のお話です。
帝は、よく民を愛し、賢才を登用し、学術を奨励したので、国はよく治まり、「慶暦(ケイレキ)の治」と言われました。
多くの名臣が帝を補佐していたのですが、朝議(いまで言う閣議)ではいろんな意見が出過ぎて、まとまりがつかず、その結果各人が党派を組んで、交替して政権を握るという、いまの政党政治の始まりのような状態になったそうです。
二十年間に内閣が十七回も変わったといいますから、どこかの国にそっくりです。世にこれを「慶暦の党議」と称して驚かれていました。
当時の習慣として、帝が大臣たちに相談せず、勝手に恩詔を下すことが行われていました。これを「内降」と言ったそうですが、御多聞に漏れず、仁宗皇帝も「内降」を行っていました。
ある時期、杜衍(トエン:978年~1057年)という人が首相になりました。
杜衍は清廉潔白、誠実、忠信の優れた政治家だったようです。ですから尚のことこういう習慣は政道を乱すものとして嫌い、「内降」があっても自分の所で握りつぶし、恩詔の詔旨がいくつかたまると、そのまま帝のところへ還していました。
杜衍のこの行いは、聖旨を勝手に曲げるものとして,「内降」で旨い汁を吸っていた者から非難されました。
たまたま杜衍の婿が官吏となり、公金を着服しました。これを見つけた御史の王拱辰(オウコウシン)は、これで杜衍を陥れてやろうと、婿らを獄に投じて、厳しく調べ上げ、数人を罪に落とし、王拱辰は大喜びで言いました。
「吾、一網打尽せり」
この事件のため、さすがの杜衍もついにわずか七十日で、首相をやめなければならなくなりました。
七十日に比べると一年は結構長いことになりますね。