【昊天(コウテン)極(きわ)まり罔(な)し】と読みまして、大空は果てしなくて、極まり尽きることがない。そのように父母の恩の極まりなく広大なことをたとえた言葉です。
出典は『詩経』小雅・蓼莪です。
父兮生我
父や我を生じ
父が私を生み、
母兮鞠我
母や我を鞠(やしな)う。
母が私を育てた。
拊我畜我
我を拊(な)で我を畜(やしな)い
私をなでかわいがり愛し、
長我育我
我を長じ我を育つ。
私を成長させ私をかばい育て
顧我復我
我を顧(かえり)み我を復(おお)いし
私に目をかけ私を庇護し、
出入腹我
出入に我を腹(いだ)く。
外でも中でも私を抱きかかえてくれた。
欲報之徳
これが徳に報いんと欲するも
父母の恩徳に報いようと思うけれど、
昊天罔極
昊天(コウテン)極まり罔(な)し。
報いきれない、果てしない父母の恩である。