老馬は老馬なりの経験によって培われた知恵があり、特に道の判断は正確である。
ものには、それぞれ学ぶべき点があるということを、老馬にたとえて表した四字熟語です。
『韓非子』説林(ゼイリン)上、にでてくる逸話です。説林というのは説話の林と言う意味で、多くの史話・伝説の類を集めて、著者独特の人間観や政治論を主張するさいの、便宜的なメモのようなものであろうと言われています。
著者:韓 非(カンピ:B.C.280年?~ B.C.233年)は、中国戦国時代の思想家。『韓非子』の著者です。
法家の代表的人物。韓非子とも呼ばれています。単に韓子と呼ばれていましたが、唐代の韓愈(カンユ)を
韓子と呼ぶようになると韓非子と呼ぶことが一般化しました。
管仲濕朋従於桓公而伐孤竹。
管仲(カンチュウ)・隰朋(シュウホウ)、桓公(カンコウ)に従いて孤竹(コチク)を伐つ。
管仲と隰朋らが斉(セイ)の桓公に従って孤竹の国を伐つた。
春往冬反。迷惑失道。
春往(ゆ)きて冬反(かへ)る。迷惑して道を失ふ。
往きは春だが帰りは冬で、迷って道が分からなくなった。
管仲曰、老馬之智可用也。
管仲曰く、老馬の智、用(もち)ふ可(べ)し。
管仲が言った、ひとつ老馬に知恵を借りましょう。
乃放老馬而随之、遂得道。
乃(すなは)ち老馬を放ちて之に随(したが)ひ、遂(つひ)に道を得たり。
老馬を放して、その後について行ったところ、やがて道を見つけることができた。
このように管仲や隰朋ほどの賢人知者でさえ、自分が分からぬ時には、老馬を先生として学ぼうとすることを、憚(はばか)らぬのである。
今の人はとかく己の愚かな心を省(かえり)みて聖賢の知恵を師とする、ということを怠るが、
これは改めないといけない。
と、韓非子は戦国時代の「今の人」に語りかけました。