世の中のいろんなものは、常に変化していて、変化しないものはありません。というような意味を表す仏教用語です。「行」を「ギョウ」と読むのは呉音読みです。
『景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)』という仏書に釈迦の言葉として出ている四字熟語です。「伝灯録」とは灯史すなわち仏教史を言います。景徳元年(1004年)に作られたので『景徳伝灯録』と言うそうです。編纂したのは、北宋の道原(生没年不詳)です。
釈迦牟尼(シャカムニ)がB.C.486年にクシナガラの娑羅双樹(サラソウジュ)の下で入滅する時、無常の偈(ゲ:仏の力をたたえる経文)を説いて、「もろもろのつくられたものは、しばらくもとどまっていない。生じては滅びる。涅槃(ネハン)を得ることが安楽である」と言ったそうです。
「涅槃」というのは、すべての煩悩(ボンノウ)を解脱(ゲダツ)した不生不滅の境地を言うのだそうです。言うなれば「あの世」のことです。
『景徳伝灯録』ではその辺のところを次のように書いてあります
【読み下し文】 爾(そ)の時世尊(セソン)拘尸那城(クシナジョウ)に至り諸(もろもろ)の大衆に告ぐ「吾今背痛し。涅槃に入らんと欲す」。・・・・・無常の偈を説きて曰く
諸行無常(ショギョウムジョウ) もろもろのもの、無常なり
是生滅法(ゼショウメッポウ) これ、生滅の法なり
生滅滅已(ショウメツメツイ) 生滅、すでに滅びなば
寂滅為楽(ジャクメツイラク) 静まりてこそ、安楽なり。
小生の意訳を付けました。
平家物語に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とあるのは、祇園精舎の鐘の音には、聞く者に、世のこだわりに執着している空しさを感じさせる力がある、という意味じゃないのかなと思います。
来年の大河ドラマは「平清盛」です。
大津波にさらわれた人達は助けを求めました。
しかし、神も仏も助けてくれませんでした。
いたならば、助けてくれたはずです。
1万何千人もの人が亡くなりました。 神も仏もいなかったのでしょう。
自然の脅威の前には、神も仏も無力だったのでしょうか。
信じる人には神、仏がいるそうです。
信じてあげるから、来年の復興には力を貸しなさい。
・・・・・と 上から目線で、神頼み。
バチがあたりそうです。
今日、平成23年大晦日です。
11月20日からスタートしました【福島みんなのニュース】。その中の『今日の四字熟語』、読んで頂いて有難うございます。来年もいろいろな四字熟語をご紹介させて頂きます。宜しくご愛読方、お願い致します。
よいお歳を、お迎えください。