【恒産(コウサン)有る者は恒心(コウシン)有り】と読みまして、生活するための一定の職業のある者は、常に変わらない道義心を持っている、ということを表した言葉です。
人民の生活が安定していれば、道徳の心も失われることがない、と孟子が滕(トウ)の文公に説いている件(くだり)があります。『孟子』滕文公篇上にでています。
民之爲道也、
民の道たる、
人民というものは、
有恒産者有恒心。
恒産ある者は恒心あり、
きまった職業や収入のある者はゆるがない道義心がありますが、
無恒産者無恒心
恒産なき者は恒心なし、
きまった職業や収入のないものは、とかくゆるがない道義心はなくなりがちなものです。
苟無恒心
苟(いやしく)も恒心なければ、
もしもこの道義心がなくなると、
放辟邪侈
放辟邪侈(ホウヘキジャシ)、
わがまま・かたより・よこしま・おごりたかぶりなど、
無不爲已
爲さざるなきのみ。
どんな事でもしでかすものです。
このあと、孟子はいろいろ例を挙げ、
まず人民の生活を安定させ、つぎに教育の政策が肝要であると結んでいます。