区別なく、広く人を愛することを表しています。
【兼愛(ケンアイ)私(わたくし)無し】と訓読みされます。中国戦国時代の墨子(ボクシ)の説です。
【兼愛】は区別をしない愛、「博愛」の意味が込められた愛です。
儒家(ジュカ)の差別愛に対抗して主張されていました。
墨子がいう、儒家の差別愛と言いますのは、親子の愛、兄弟の愛、家族の愛などと区別した
愛のことを言っている、と墨子は解釈をしていました。
【兼愛】の【兼】は、禾(いね)を二つ合わせて、それを又(手)でつかむ形を文字化した
会意文字です。そこから「あわせもつ、あわせる」の意味となり、【兼愛】は自他の区別なく、
包容する愛を意味するようになりました。
【兼愛無私】の四字熟語は『荘子』天道篇に 出てくるのですが、これを言ったのは儒家の孔子となっています。
荘子は『老荘(ロウソウ)』と括(くく)られるように、儒家の対極の思想と言われています。
『荘子』の中に老子、孔子を登場させて、儒家の「愛」を批判したのではないでしょうか。もっともこの天道篇は荘子の作ではなく、後世の人の手によるものとも言われています。
【兼愛無私】が出てくる前後の文章を抜き出しました。
老子は聞きました
「なにを仁義というのですか」。
孔子は答えました
兼愛無私、此仁義之情也。 兼愛して私無き、此れ仁義の情(まこと)なり。
人を平等に愛して依怙贔屓(エコヒイキ)のないこと、それが仁義の真実の姿です。
これに対し老子はいいました
「それはまた、ずいぶんつまらない話ですな。人を平等に愛するなど、回りくどいではありませんか。
依怙贔屓が無いというのは、(自分が人からそうしてもらいたいからで)自分中心の考え方です」
このあと、延々と老子のお説教が続きます。
歴史的な説明を加えますと、『史記』:孔子世家に次の記載があります。
孔子(34、5歳のとき)、南宮敬叔(ナングウケイシュク:14、5歳)と、
周の都:洛陽(ラクヨウ)にいき、恐らく老子にあったのだろうといわれている。
多分この時の会話なのでしょう。司馬遷にとっても400年以上も前の話ですから、半信半疑なのか伝聞で書いてます。
今日2月14日は『バレンタインデー』です。
男女の愛の誓いの日だそうです。
女性が男性に愛情の告白としてチョコレートを贈る習慣があるのは日本・韓国などアジア圏だけのようです。
「義理チョコ」とはいえ、おそらく【兼愛】ぐらいは入ってるんじゃないでしょうか。