贅沢の限りを尽くした豪華な宴会。また淫(みだ)らな宴会の例えを言った超がつくほど有名な四字熟語です。
『史記』殷本紀を出典としています。
殷の紂(チュウ)王は弁舌さわやかで動作もすばしこく、頭もよく、才能も腕力も人よりすぐれていました。
酒を好み淫靡な遊びを楽しみ、女に溺れました。
有蘇(ユウソウ)氏を征伐して妲己(ダッキ)を得ると、これを寵愛し、妲己の言うことは、何でもかなえてやりました。妲己のために淫靡な音楽を作らせ、民衆からは多大な税を取り立てて金品を蓄え、珍種の動物や珍品を集めて宮室を満たし、様々な野獣や飛鳥を捕まえて放し飼いにしました。
酒を以て池と為し、肉を縣(か)けて林と為し、
酒池肉林をなし、
男女をして倮(ラ)し、其の間に相(あい)逐(お)わしめ、長夜の飲を為す。
男女を裸にしては互いに追いかけさせ、昼夜を問わず淫靡(インビ)の限りを尽したのである。
亡国の最後の王は必要以上に、暴虐を論(あげつら)われます。
殷王朝の前の夏王朝には、これまたとんでもない亡国の桀(ケツ)王がいました。
二人合わせて【夏桀殷紂:カケツインチュウ】なる四字熟語も作られています。
紂王に反逆すると【焙烙(ホウラク)之刑】に処せられました。
【焙烙之刑】といいますのは、油を塗った銅柱を炭火の上に架け渡して、罪人を渡らせる刑です。
B.C.1027年?(B.C.1023年?)『牧野の戦』で殷紂王は周武王に滅ぼされました。