【人(ひと)惡(アク)なる者(もの)五(ゴ)有(あ)り】と読みまして、人間には悪事として排斥すべきものが五つある、という意味です。
出典は『荀子』宥坐(ユウザ)篇第二十八です。宥坐は座右の意。
人有恶者五,
人惡なる者五有りて、
人間には悪事として排斥すべきものが五つあるが、
而盗窃不与焉
盜竊(とうせつ)は與(あずか)らず。
盗みはその中に入らない。
一曰心达而险,
一に曰く、心達にして險、
(その五つとは、)第一に、気が良く付き過ぎて陰険であること。
二曰行辟而坚,
二に曰く、行辟(へき)にして堅、
第二に、行為が片寄っていて頑固なこと、
三曰言伪而辩,
三に曰く、言僞(い)にして辯、
第三に、言葉に修飾が多すぎて口数の多いこと、
四曰记丑而博,
四に曰く、記醜(しゅう)にして博、
第四に、記憶内容が醜いことばかりで博覧すぎること、
五曰顺非而泽。
五に曰く、非に順(したが)いて澤。
第五に非に従って改めないのみか、更に潤色して是と見せかけること。
此五者有一于人,
此の五者は人に一有れば、
この五つの悪は、人間がその一つだけでも持っていたならば、
则不得免于君子之诛,
則ち君子の誅を免るることを得ず、
君子の誅罰から逃れることが出来ないものである。