【朝(あした)に令(レイ)して暮(く)れに改(あらた)む】と読みまして、
朝に命令を発したと思えば、夕方にはそれを改める。むやみに命令や法律を変更する、という意味です。
出典は『漢書』食貨志上です。
前漢(B.C.202~A.D.8)の文帝(B.C.180~B.C.157)の時、地主や商人の勢力が強くなって、多くの農民が疲弊してしまう状態が発生しました。
このような深刻な情勢にあたって御史大夫(ギョシタイフ:官吏を監察する仕事)の地位にあった晁錯(チョウソ)が文帝に上書した文章の中に【朝に令して暮れに改む】が出ています。
勤苦如此、尚復水旱之災、
勤苦(キンク)此(かく)の如くなるに、尚(な)ほ復(ま)た水旱(スイカン)の災(わざはひ)あり、
農民の苦労はこのように大変なものであるのに、その上水害や灌漑に苦しめられ、
急政暴賦、賦斂不時、
急政(キュウセイ)暴賦(ボウフ)、賦斂(フレン)時ならず、
加重な税を性急に求められ、しかもそれが頻繁であり、
朝令而暮改。
朝(あした)に令して而(しか)も暮に改む。
朝出された命令が夜には変更されているといったありさまです。
晁錯は上書のあと、「納粟(ノウゾク)受爵(ジュシャク)制度」といいまして、穀物をある一定以上納めた者に爵位を与えるという制度を提案しました。
この「納粟受爵制度」で、商人は爵位を求めて穀物を買い漁り、その結果農民の手元に多くの金銭が入るようになったそうです。