【人生(ジンセイ)の福境禍區(フクキョウカク)は、皆(みな)念想(ネンソウ)より造成(ゾウセイ)す。】と読みまして、人生の幸・不幸の境界は、すべて心のはたらきが造り出すものである、という意味になります。
出典は『菜根譚』後集109条です。
人生福境禍區、皆念想造成。
人生の福境禍区(フクキョウカク)は、皆(みな)念想(ネンソウ)より造成(ゾウセイ)す。
人生の幸・不幸の境界は、すべて心のはたらきが造り出すものである。
故釋氏云、
故(ゆえ)に釈氏(シャクシ)云(い)う、
されば釈尊も説かれている
利欲熾然、卽是火坑、
利欲(リヨク)に熾然(シネン)なれば、即(すなわ)ち是(こ)れ火坑(カコウ)なり。
利欲に心が火のように燃えさかると、その境界はさながら焦熱地獄であり、
貪愛沈溺、便爲苦海。
貪愛(トンアイ)に沈溺(チンデキ)すれば、便(すなわ)ち苦海(クカイ)と為(な)る。
貪欲に心がおぼれ沈むと、その境界はさながら果てしない苦海となる。
一念清淨、烈焰成池、
一念清浄(イチネンセイジョウ)なれば、列焔(レツエン)も池(いけ)と成(な)り、
一念さえ清浄になれば、燃えさかる炎の中も清く涼しい池となり、
一念警覺、船登彼岸。
一念警覚(イチネンキョウカク)すれば、船(ふね)彼岸(ヒガン)に登る
一念さえ迷いから覚めれば、船は涅槃の彼岸に至る、と
念頭稍異、境界頓殊。 可不愼哉。
念頭(ネントウ)稍(やや)異(こと)なれば、境界(キョウカイ)は頓(とみ)に殊(こと)なる。
愼(つつ)しまざるべけんや。
その一年の持ち方が少しでも変わると、その境界はがらりと変わって来る、
よく考え慎まねばならない。