【井蛙(セイア)は以(もっ)て海(うみ)を語(かた)るべからず。】と読みまして、井戸の中にいる蛙に海のことを話しても無駄である、という意味です。慣用句【井の中の蛙、大海を知らず】の原典となった言葉です。
出典は『荘子』秋水編です。
北海若曰、
北海若(ホッカイジャク)曰く、
北海若(北海の神)が言いました、
井蛙不可以語於海者、拘於虚也。
井蛙は以て海を語るべからざるは、虚(キョ)に拘(こだわ)ればなり。
井戸の中にいる蛙に海のことを話しても無駄なのは、狭い自分の住みかに拘っているからだ。
夏蟲不可以語於冰者、篤於時也。
夏虫(カチュウ)は以て氷を語るべからざるは、時に篤(あつ)ければなり。
夏の虫に氷の話をしても無駄なのは、自分の生きる季節しか知ろうとしないからだ。
曲士不可以語於道者、束於教也。
曲士(キョクシ)は以て道を語るべからざるは、教えに束(しば)らるればなり。
見識の狭い一芸だけの男に道のことを話しても無駄なのは、(自分のうけた)教育に
拘束されているからだ
今爾出於崖涘、觀於大海、乃知爾醜。
今、爾(なんじ)崖涘(ガイシ)より出で、大海を観(み)、乃(すなわ)ち爾の醜(シユウ)を知る。
今、お前はせまい岸辺から出てきて、大海原(おおうなばら)を観て、自分のつまらなさを
悟ったのだ。
爾將可與語大理矣。
爾(なんじ)将(まさ)に与(とも)に大理を語るべし。
お前はどうやらすぐれた真理についてともに語れそうだね。