【耳を貴(たっと)び、目を賤(いやし)む】と読みまして、聞いたことを重んじて、見たことを軽んずるという意味で、人の言うことは信じるが、自分の目で見たものは信じないということを言っています。
過去のことや、遠くで起こっていることは信じるが、現在のことや身近で起こっていることは信じない、と言うことでもあります。
後漢代の政治家・天文学者・数学者・地理学者でもありました、張衡(チョウコウ:76年~139年)が30歳の時に著した、西京(セイケイ:長安)賦、東京(トウケイ:洛陽)賦という二賦があります。
そのうちの『東京賦』に記載があるのが【耳を貴び、目を賤しむ】です。
乃莞爾而笑曰
乃ち莞爾として笑って曰く
やっとにこりと笑って、言いました。
若客所謂,末學膚受,
客の如きは所謂、末だ學を膚で受け、
あなたのようなお方は、いわゆる学は浅くてうわべだけ、
貴耳而賤目者也
耳を貴(たっと)んで目を賤(いやし)む者なり。
人の言うことは信じるが、自分の目で見たものは信じないという、お人である。
苟有胸而無心,
苟(まこと)に胸有りて心無く、
まことに肌で感じても、理性の心が無く、
不能節之以禮,
之を節するに禮を以てする能はず。
礼を以て、適度な節度を与えることが出来ない(人だ)。