【本(もと)を抜き源(みなもと)を塞(ふさ)ぐ】と読みまして、物事を処理するうえで、災いとなる根本の原因を取り除くという意味です。
また物事の根本にさかのぼり、害になる原因を取り除いて、正しく処置をする、という意味でもあります。
出典は『春秋左氏伝』昭公九年(B.C.533年)の条です。
【本を抜き源を塞ぐ】は、根本にさかのぼって、災いの原因を取り除くという意味で使われることが多いのですが、出典となっています『春秋左氏伝』では、少し違った意味で登場します。
中国春秋時代に、晉は異民族の戎(ジュウ)と共に周を攻めました。
そこで周の景王(ケイオウ:B.C.544 年~B.C.520年)が、晉の平公(ヘイコウ:B.C. 557年~B.C.532年)に使いを送って口上を伝えさせました。
異民族の戎が、中国の地を領有し始めたのは、晉の恵公(ケイコウ:B.C.650年~B.C.637年)が
連れてきてからです。いまや戎はわがもの顔に振る舞っています。なんと治めにくい世の中では
ありませんか。
周と晉は古来、衣服に冠があり、木に根があり、水に水源があり、人民に一族の長老があるような
ものです(周が晉の本家であるという意味)。
伯父若裂冠毀冕、
伯父(ハクフ)、若(も)し冠を裂き、冕(ベン)を毀(こぼ)ち、
(わが周室と親しい)あなたまでが、冠を破り、冕(ベン)を毀(こわ)し、
抜本塞源
本(もと)を抜き源(みなもと)を塞(ふさ)ぎ、
木の根を抜き取り、水源を塞ぎ、
専棄謀主、
専(もっぱ)ら謀主(ボウシュ)を弃(す)てば、
一途に長老を追っ払うように、わが周室を蔑(ないがし)ろにするならば
雖戎狄、其何有余一人。
戎狄(ジュウテキ)と雖(いえど)も、其れ何ぞ余一人に有らんや、と。
いやしい戎までも、きっと天子である私をも、蔑(ないがし)ろにするでありましょう。
春秋時代【本を抜き源を塞ぐ】は、切っても切れない密接な関係にあるものを表現することばであったようです。