人は将来のことを考えておかないと、近いうちに心配事が起こりますよ、という内容の四字熟語です。
「遠慮近憂」は『論語』衛霊公第十五に記載されています。
【読み下し文】:子曰く、人(ひと)遠慮(えんりょ)無ければ、必ず近憂(きんゆう)有り。
【意味】:孔子言う、人がもし遠い将来のことを熟慮しないと、必ず近い将来禍(わざわい)が起こるものだ。
『論語』について少しお話します。『論語』は、孔子とお弟子さん達の言行録で、孫弟子さん達が編纂(へんさん)した書物と言われています。儒学の経典である四書(論語・孟子・大学・中庸)五経(春秋・詩経・礼記・書経・易経)の一つです。
『論語』は「學而(がくじ)第一」から「堯曰(ぎょうえつ)第二十」までの二十篇に分かれていまして、「子曰く」を除いた各篇の最初の二文字ないし三文字をとって篇名としてました。また『論語』が編纂された頃は紙がまだ発明されていませんでしたので、竹の細い板のようなものに漆で文字を書き、韋(なめしがわ)で出来たヒモで編んで一篇ごとに巻き物にして第一、第二と呼んでいたようです。それで篇名とあわせて「衛霊公第十五」となったようです。
今から2300年ほど前から言われていた「遠慮近憂」ですが、歴史上、時の為政者たちは「遠慮」に乏しいがため、常に「近憂」に汲々(きゅうきゅう)しそれを処理することが「政治」であると考えていたのではないでしょうか。そうでなければもっと良い世の中になっていたはずです。
数日前の新聞一面の見出し【 90.3兆円予算復興は別枠 実質96.7兆円、過去最大 】。
たとえてみますと、年収423万円の家庭が毎年442万円の借金をしながら生活しています。勿論借金の返済もしてます、毎年219万円づつですけど。残りの借金は子供たちに任せてます。
スケールダウンで見たときの来年の我が国の予算です。
これじゃ「近憂」に汲々するしかないですよね。楽しいことなんかこれっぽッちもないと思ってしまいます。